箱根1715年(江戸時代の正徳5年)に開業の温泉宿
江戸時代中ごろに創業したきのくにやは、大正時代には贅を尽くした別館を持つに
至りましたが惜しくも関東大震災で消失、現在の吉昇亭は昭和初期に建てられた
ものです。「伝統は常に斬新」。昭和48年に別館の「遊仙観」。そして本館に
「春還楼」を加えたきのくにやは、古き良き伝統を守りながら、新しいおもてなしの
歴史を刻んでいます。
きのくにや旅館の由来
江戸時代、和歌山県河辺村城主 小島氏に始まる。
その後、小田原市酒匂に移り川辺と改名、網本として成功する。
その三代目が小田原城主大久保加賀守より11万3千石で芦之湯の土地と温泉株を取得する。
1715年11月(正徳5年)である。後は幾多の災害にあいつつ栄枯盛衰を繰り返し今日に至る。
現在12代目を継承中。 ※館主作成「宿と温泉の歴史」より抜粋
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総湯(共同湯)時代の芦之湯 | 古い絵葉書から |
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滝廉太郎先生の「箱根八里」ゆかりの宿
「箱根の山は天下の剣・・・」と誰にも親しまれる歌「箱根八里」。
この歌は滝錬太郎先生が、きのくにやに滞在中につくられたもの。結核を患った
晩年の滝先生は当館で療養生活を送られていました。当時の本館正面入り口には、
滝先生を偲んで、「箱根八里」の作曲之碑が建立されました。
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滝廉太郎先生 | 「箱根八里」作曲の碑 |
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明治時代の大風呂の古画
芦之湯は平安時代からの湯治場として、また箱根で最も古い温泉地として知られ、
江戸時代には多くの文人、歌人が集いました。
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江戸時代の湯治場の様子を描いた古画 | 開業当時の浴室を再現した「正徳の湯」 |
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明治時代のお献立表
文明開化の波に日本が洗われていた頃、東京の奥座敷、ここ箱根にも新しい文化の
躍動がやってきました。それは「ハイカラ」と呼ばれる欧米風の生活スタイル。多くの
文人歌人たちがきのくにやに、モダンな雰囲気を連れて訪れました。今なお残る明治時代の
お献立表に、コロッケ、チョコレートクリーム、カフェなど、当時の流行の一端と
モダンぶりを偲ぶことができます。
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明治時代の献立 | 現代の遊仙観のご夕食例 |
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